MOPP - Mission ouvrière Saints-Pierre-et-Paul

ステップ5

ブラジル滞在中のルイさんの手紙


 


ステップ1 サン・パウロでの始まり、ジョアンとクリスティナの家で。 写真


ステップ2 ルイ、五島列島の隠れキリシタンの末裔の家にて。 写真


ステップ3 フレイ・イノセンシオにて、ルイより。「アポイオ・アオ・イドゾ(お年寄り援助の家)」のお年寄り達と、また、ルシアとその家族と。 写真


ステップ4 フレイ・イノセンシオでの新年、ティノとルジアの家で 写真



 

ステップ5 ジョアンヴィルにて。たくさんの友達に会う。写真


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親愛なるアントニオ、


 写真や話が少したまるまで、手紙を書くのを控えていました。


 わたしは今、ジョアンヴィルにいて、友人達に再会しています。ベロ・オリゾンテを発ち、クリティバに向かいました。ファビアノとスイス人の友達、ナタリーが待っていて、わたし達は一緒にイグアスの滝へ行きました。2日間、自然の美しさに感嘆しました。こんなにも豊かな滝を見て、絶えず心から注がれる神の愛を考えずにいられるでしょうか。そしてまた、イエスの“あなたたちから行ける水が川となって流れ出る”という言葉を思い出さずにいられるでしょうか。恵みの2日間でした。


 クリティバで、モップの兄弟のジャンとファビアノと一緒に1週間過ごしました。長崎のシスター達のところへジャン・カルロスと一緒に行き、そこで深い友情を分かち合うシスター・コルベに会いました。彼女はジャンに、アルツハイマー病のお年寄り達のための“ホーム”で彼女を手伝うように頼みました。それから、ジョマールと一緒に“ド・エンコントロ(出会い)”の修道院に行き、3日間過ごしました。そしてそこに、1人の友人がジョアンヴィルに行くため、わたしを迎えに来てくれました。


 


 ここで昔、長く住んでいたので、わたしはたくさんの友に会いました。ジャン・カルロスの両親を彼らの新しい家に訪ねました。そこには家族みんながいました。娘達や孫達。とても親しみを感じる出会いでした。ファビアノの両親の”海辺の家“へ行きました。お母さんのベンタは、重い病気から回復しつつありました。いくつもの検査の結果、ラクトースに対するアレルギーがあることがわかりました。やせて、内耳炎になり、よくない状態だったのですが、今、回復してきています。ヴィラ・ノヴァのイルマさんの家でミサを捧げました。彼女は82歳ですが、今もエネルギーに満ちています。


 


 日曜日、ガスパールという町に行きました。1991年から1998年までジョアンヴィルに住んでいたとき、わたしは毎月ガスパールにある家族を訪れていた。MOPPの養成の責任者だったからです。ご両親は、この2年間に亡くなりました。お母さんは


85歳で、お父さんは92歳でした。子供を10人持ち、めったにないような素晴らしい精神を持った家族を作りました。40人の人達が歌を歌い、わたしを迎えてくれました。そして、わたし達はご両親の結婚式の皿をミサのパンを捧げるために使いました。出席者は若い人が多く、日本と異なっています。


 


 イラセマに会いました。彼女は絶えず、他の人達のために闘っている人です。1つの家族のために教区に建てさせた家を見せてくれました。彼女は新聞にも出た。人並み外れたエネルギーを持った女性です。それから、他の友達にも会いました。


ジェルシーとその夫。彼はひざの手術の後、苦しんでいます。ゼとゼナイデは仕事を引退し、いつもよくもてなしてくれます。わたしはMOPPの友、ジョの家に泊まりました。彼女はチャペルのある住み心地のよい家を持っています。そのチャペルで、一緒に朝と夕のお祈りをしました。また、マルタと彼女の家族を訪ねました。掘っ立て小屋の密集するところに、彼女はご主人の息子、娘とその4人の子供と一緒に住んでいます。娘さんはその夫に見捨てられたからです。


 


 わたしはまた、アデイルトンとその二人息子を訪ねました。アデイルトンは以前にMOPPの研修を受けたことがあります。その後、マティオラも訪ねました彼は、助祭職に忠実果たしますが、教会の新しい司祭とうまくいかない:この司祭は自分の考え方を押しつけ、助祭であるマテイオラのやっていることを支えていない。彼と一緒に、共同体の助けを借りて建てている家を見に行きました。ブラジルでは、司祭たちの問題は深刻です。飽くことを知らないお金の要求、権威主義、そして性的スキャンダル。ある司祭は子供を3人持っています。住んでいたそれぞれの小教区に1人ずつです。それでも彼は司祭職を続けています。本当に残念なことです。


 


 人々の生活状態は、わたしが前回滞在したときと比べてよくなっています。家々は素敵になり、自動車はあふれ、コンピューターは数え切れません。印象深かったのは、色々な宗派の教会の数です。


 


 わたしの旅は終わりに近づきつつあります。あと4日間バヒアにいて、それからサン・パウロへ行き、そして日本に帰ります。


 


それでは。


 


ルイ


 


ジョアンヴィルにて。1月26日


 


 


写真:ジャンの両親、ファビアノの両親、イルマさんの家でのミサ、ガスパール(のところ)でのミサ、ゼとゼナイデ、ジェルシー、マティオラ、イヴェラルド、友人フランシスコの息子、マルタ、子豚の笑顔



 


ステップ4 フレイ・イノセンシオでの新年、ティノとルジアの家で 写真


 


アントニオ、新しい年を無事迎えたことと思います。勇気、忍耐、そして慰めを祈ります。ここ数日間、フレイ・イノセンシオで過ごし、たくさんのお年寄り、病気の人を訪ねました。すでに進行arton190した多発性硬化症を患っている42歳の女性に付き添いました。彼女は夫と二人の息子に見捨てられました。これはとても意味深い出会いで、一緒に多くの時間を過ごし、この困難な道のりの中で彼女を助け、麻痺した体を少しずつ栄光に満ちた体に変えていくことのできる花婿であるキリストに出会うための準備をするように提案することができました。キリストに顔と顔を合わせて出会うことができるのですから。彼女はもう読むことができませんでしたが、彼女の聖書にはたくさんの下線が引いてあり、印が付けられています。ですから、神様の御言葉をよく覚えています。彼女の名前はノルメリアといいます。


 


 また、ジャネットという、重い癌が治った女性にも出会いました。彼女は生活を変えました。牛肉、砂糖、その他いろいろな食べ物をやめ、お医者さんの治療に加えて自然の薬を使い、とても強い信仰を生きています。急速にすっかり良くなり、今では癌を患う多くの人達を助けています。単純な人達の言葉に耳を傾ける度、そこには苦しみと信仰に満ちた聖なる人生の物語があります。


 


 31日の晩は3つの家族と分かち合い、それから、病床にありながらも生き生きとした


80歳のお年寄りの男性と過ごしました。1月1日には、ルシアの新しい土地に戻り、世間から遠く離れた人達の小さな共同体で祝いました。その中には83歳の双子がいます。それぞれの家族には10人から16人の子供があり、部族になっています。たくさんの子供たちがいます。素晴らしい田舎の野外でミサをささげました。4日間、ティノとルジアの家で4人の子供達、18歳、17歳、ものすごく活発な5歳と6歳の子供達と過ごしました。2人は強く結ばれた夫婦です。ティノは郵便配達人で、ルジアは労働者の党で3年前から政治活動を始めました。彼女はルシアと同じようにずっと活動家として働いてきましたが、一度も昇進を求めませんでした。彼女達は、常に人々の生活を向上させるために闘う女性達です。彼女と一緒に、1月29日に会うことになっているGAMOPPの何人かの人達を訪ねました。とても親しみの持てる人達で、心にMOPPの精神を強く抱いている人達です。今晩、モップの兄弟にいるクリティバに向けて出発します。


 


それでは。


ルイ


 

 


ステップ3 フレイ・イノセンシオにて、ルイより。「アポイオ・アオ・イドゾ(お年寄り援助の家)」のお年寄り達と、また、ルシアとその家族と


 


 


 親愛なるアントニオ、素敵なクリスマスを過ごしたことと思います!
 アポイオ・アオ・イドゾの家で、貧しい人々とともに大きな喜びの中にあります。ここには、見捨てられたり、家族がなかったり、精神的に大きな障害があったり、アルコールや麻薬で体を壊した人達が74人住んでいます。わたし達の社会が作り出すこれらの悲惨な人達にとってのまことの宿です。この家の真心である女性、ジョヴェニラは、福音の光を照らし、この家が、傷つき社会から取り残された人々のための愛と立ち直りの場となるよう、奇跡と思えるようなことをやってのけています。クリスマスのミサをこの小さな人々とささげました。とても感動的でした。

 クリスマスの日、ブラジル人で最初のモップの兄弟のアゴスティーニョの奥さん、ルシアを訪ねました。アゴスティーニョはモップの集会に参加しましたが、家族を養うことができませんでした。ルシアはパルケ・サン・ジョアンのスラム街で生活し、ゴミの中から食べ物を探していました。それから、彼女は自分の町に戻りました。お母さんが病気で、弟が目が不自由だったからです。

詳細:ルシアのお母さんは16人の子供を産みました。そのうち4人は最初の夫との間にできた子供です。夫は亡くなり、彼女は《アントニオさん》と再婚しました。二人は54年間、ジェラルダさんが2年前に亡くなるまで一緒に暮らしました。彼女は、わたしの叙会階の絵を手に握りしめながら亡くなりました。彼女には16人の実の子と、5人の里子がありました。
 ルシアは活動家で、長年闘ってきました。今も《土地を持たない人々》の運動で闘い続けています。彼女はだれも使っていない土地を占領し、その土地を手に入れると、それを自分より貧しい家族に譲り、別の土地を占領します。追い出されたら別の土地へ移り、最終的には土地を手にします。彼女は土地を勝ち取るために実に闘い、やっと良い土地を手に入れました。しかし、それは不便なところにありました。今年の初め、彼女とはもっと便の良い土地に入ることができました。
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 ルシアには3人の子供があります。ダヴィ21歳、アンドレ19歳、ナタリー16歳です。3人ともまだ勉強しています。田舎の学校は進度が遅く、生徒達が1時間かけて学校へ行っても先生が現れないこともよくあります。一番年上のダヴィにはもう11ヶ月になる子供がいて、18歳の妻と一緒にルシアの家の近くに住んでいます。15年間に渡る転々としている生活の後、ルシアは今、この土地に定住しようと思っています。生産し、販売する共同体を作る必要があります。そうすれば、お金で収入を得ることができます。そうでなければ、自分たちの生産したものを消費するだけで、お金を手にすることはありません。この新しい土地のチャペルでミサをささげました。この希望に満ちた小さな人達とたくさんの子供たちを見ることは、とても美しいことでした。わたしは、彼らを祝福しました。

 クリスマスの夜、ルシアの家にたくさんの友達が集まりました。そのうちの一人がアコーディオン、もう一人がエレキピアノを持ってきました。みんなで歌を歌い、主の降誕の喜びを分かち合いました。それから、空を眺めに外に出ました。何万という星と周りの家の光で あまりにも素晴らしいスペクタクルを前に、なかなか眠りにつけませんでした。

 その後数日、ルシアと一緒にわたしたちは5人のお年寄りを訪ねました。91歳、84歳の双子、76歳、85歳。みんな10人から15人の子供を持っていて、孫や曾孫、またその子供たちがそれはそれはたくさんいます。いつもルシアのお父さん、アントニオと一緒に行きました。彼は86歳ですが、陽気で力に満ちており、他の人達や働く人達の必要とすることに気を配っています。いつも何かをしています。

 彼はダンスが好きで、年寄りの人達のパーティーに彼と一緒に行くと、たくさんの女性を誘い、踊りました。フレイ・イノセンシオの地方に1945年、わたしが生まれた年にやってきたそうです。

 今日は、見捨てられた子供たちを受け入れている家を訪れました。ちょうどクリスマスの後のイエスのような生後6日の女の子。母親に見捨てられました。生後3ヶ月の女の子。彼女は、臓器を売るためアメリカへ連れていかれるように、母親に12,000ドルで売られました。幼き聖人達の祝い日に実によい黙想の機会となりました。以上がわたしのクリスマスについてのいくつかのメモです。貧しさの中で生まれたイエスに近い、今までで最も美しいクリスマスでした。


 わたしたちといつもともにいらっしゃる方、インマヌエルに満ちた幸多き良い年を迎えてください。

ルイ

ヴィラ・フレイ・イノセンシオ 12月29日


 



ステップ2 ルイ、五島列島の隠れキリシタンの末裔の家にて。


 

 


 


 


 親愛なるアントニオ、2011_12_21_ancien_1_de_l__ile_Goto


 


 旅の続きの報告を送ります。日本で知り合い、典礼でわたしをよく助けてくれた別の友達の家にいます。彼はギターを弾き、ブラジルのお年寄り達の家のために、わたしの仕事をたくさん手伝ってくれました。


 



 93歳になる彼のお父さんの家でミサをささげました。日本の南、五島列島で生まれた、いわゆる隠れキリシタンの末裔です。祖先の中には殉教者達がいます。


 



 強い信仰を8人の子供達に伝えました。


 



 30人ほど集まりました。子、孫、曾孫、そのまた子供達。みんな、深く根ざした信仰を持っています。とても感動的なひとときでした。この方は補聴器がないと良く聞こえませんし、視力も落ちています。しかし、とても存在感があり、家に司祭を迎えたことをとても喜びました。罪の赦しを求め、わたしがそこを離れるとき、何度も日本語で「わたしのために祈ってください。」と頼みました。信仰の素晴らしい瞬間でした。


 



 その晩、彼と彼の息子とわたしは、車でもう一つの家族を訪ねに行きました。その家族の父親は日本にいます。(彼はわたしにカメラをくれました。旅の写真を撮ってくるようにと頼まれています。)


 



 昨日からルシアの家族が住んでいる町、フレイ・イノセンシオに来ています。車で12時間かかりました。貧しい人達の住む所です。


 



 続きは、また次の手紙で。


 



 それでは。ルイ


 



ヴィラ・フレイ・イノセンシオ 12月21日



 


ステップ1 サン・パウロでの始まり、ジョアンとクリスティナの家で。


 


 


親愛なるアントニオ、
 わたしの友人、ジョアンとクリスティナと過ごした5日間の報告をします。この夫婦とわたしは、ブラジル人共同体のために一緒に働きました。彼らはカテキズムを行い、典礼を助け、わたしをよく食事に招いてくれました。生き生きとした、そして宣教の精神に満ちた信仰を持った夫婦です。

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 この家はとてもくつろげます。二人息子がいて、一人は植物セラピストとして、そしてもう一人はオートバイの店の店員として働いています。この家族には、大きな平和と完全な理解があります。ブラジルに帰ってきてからは、彼らは自分の家で裁縫の仕事をしています。父親は、子供達が出かけるときには車に乗せます。というのは、一台しか車がなく、ここ数日間わたしが見るところ、彼はいつでも車を出してくれます。

 クリスマスの九日間の祈りが火曜日に始まり、毎晩違う家庭で行われます。クリスマスの準備をするため、何人かの人達が集まります。そのために、一冊の小さな本が作られました。詩編、聖書の朗読、御言葉の分かち合い、人生の問題の分か
ち合い、祈り、歌から成っています。出会いの良いひとときです。


 先日、わたしたちは、12月と1月の典礼の小冊子を買いにカトリックの本屋さんへ出かけました。店員さんによると、12月の冊子は売り切れてしまい、もう数人のお客さんに断ったということでした。確かに、本の売り場を見るとそうでした。ところが、わたしが別の棚に目をやると、そこに12月の冊子があるではありませんか。神様がわたしのために取っておいてくださいました・・・。わたしたちの生活の中に神様がいらっしゃることの小さなしるしです。

 良い待降節を。そして、主がわたしたちの光となられますように。


ルイ

サン・パウロ 2011.12.17